Category : Book! Book! Sendai 2017

絵本図書室ちいさいおうち(宮城県多賀城市)インタビュー

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お話:絵本図書室ちいさいおうち/佐々木優美さん
聞き手:Book! Book! Sendai 武田こうじ、前野久美子
2016年10月20日

みなさん、こんにちは。前回の年末対談(吉岡さん・前野・武田)の記事から、もう2か月・・・というか、今年ももう2か月が過ぎ・・・年度で言えば、もうすぐ年度末。今年度のB!B!Sの活動はイベントをやらずに、このサイトが中心ですが、それも1年が過ぎようとしています。そもそもいろんなことを感じ、考え、こうして動いてきたわけですが、それは必ず次の展開につながっていくと思っています。「来年度の話もしなきゃね」と前野さんと話しています。

その前に、多賀城に取材に行ってきました。新しい家庭文庫ができたのです。なまえは「ちいさいおうち」。ぼくの世代で家庭文庫と言うと、なんとも言えないなつかしさがあって・・・B!B!Sを始めてから、本の話をすると、たくさんの方が子どもの頃の思い出として、または本と出会った場所として、家庭文庫の話をしてくれました。

なので、いつか家庭文庫の話もしたいなぁと思っていたところ・・・多賀城に新しく出来たということで、お話を聞いてきました。

コーディネートは多賀城市市民活動サポートセンターのセンター長・中津涼子さん。B!B!Sのメンバーとしてもいろいろお世話になっています。彼女の案内で「ちいさいおうち」に向かいました。

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静かな住宅街にあって、毎週水曜日の開館で・・・正直言うと・・・普段イベントを企画したり・出ている自分としては、「ほんとうに来館する人いるのかな?」と失礼ながら、思ってしまったのですが・・・その辺りは、時間はかかっても、確実に、丁寧に、足を運ぶ子どもたちが増えてきているようで・・・こうした時間の流れ方や、関わり方にも教えられることが、いろいろある取材でした。

武:はじめられたきっかけはなんだったのでしょう?

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佐々木優美さん(以下・佐):8年前まで小学校の教師をしていたんですね。受け持った子たちも低学年が多くて・・・絵本はずっと好きで学生時代から買っていたのですが・・・教師の時に絵本を大人買いして(笑)、教室に置くようになったんです。そして、朝の会などで読み聞かせしたりしていたのですが・・・何年か前に、新聞に家庭文庫の草分け的存在の松尾文庫の30周年の記事が載っていたんですね。それを読んで、自宅でこういうことをしている活動を知って、いつか仕事を辞めたら、自分もできたらいいなぁと思ったんですね。

武:なるほど。

佐:年取って・・・いつか、やりたいなぁ、っていう夢ですね。現実性はあまりなかったのですが。

武:では、ご自分の思い出として、子どもの頃に家庭文庫に通っていた、ということではないんですね?

佐:はい。家庭文庫自体を知らなかったんです。

武:そして、教師をやめる時が来ると・・・。

佐:はい。2009年に早期退職するんです。親の面倒を見なきゃいけないというのがあって。

武:そうでしたか。

佐:でも、それは表向きの理由かな(笑)。ほんとうは、もういいかなぁみたいな気持ちもあったんです。

武:というと?

佐:学校ではなかなか自分のやりたいことをやることが難しく思えたんです。以前、朝日新聞のオーサー・ビジットを知って、その時2年生の子を受け持っていたので、五味太郎さんを呼んでみたいな、と思ったんです。結果、抽選でダメだったのですが、それを実現したいと思っても、学校の中だといろいろ手続きが大変で・・・私は偏屈だから(笑)、結構言いたいことを言っていた方だと思うのですが、やはり学校だとなにかやりたいと思っても、実現するのは難しいなぁと思いました。

前:そうなんですね。昔はもっと自由だったんですか・・・?

佐:そうでしたね。先生方の個性を生かす場面もありましたね。

前:やはり、お仕事としてはすごい忙しいのですか?

佐:そうですね。仕事量がとにかく多くて・・・しかも、それが子どもに還元できるものならいいのですが・・・もちろん、仕事というのは、そればかりではなく・・・以前はそれでも学校に意見を言える感じはあって、それが反映されたりもしたのですが、最近は自分の考えを言っても「一応ご意見としてうかがっておきますが、この方向でやってください。」で終わってしまって、意見もだんだん言わなくなっていってしまったんですね。そういうフラストレーションがたまっていきました。

前:そうなんですね・・・。

佐:そんな流れで、主人に相談したら、親の介護が必要だったこともあり、「やめていいよ」と言ってくれたんです。

前:すんなりやめれたんですか?

佐:そうですね。私が言いたいことを言っていたのもあってか(笑)「やめます」「わかりました」という感じでした(笑)。

一同:笑

佐:ただ、もちろん、これは私の側の話ということでもありますよね。どっちの立場にも考えはあるだろうし。

武:たしかに、そうですね。でも、実際息苦しくなってきているような気はします。ぼくが子どもの頃の学校の話とかすると、今の子たちは信じられないんじゃないかな。

前:たとえば?

武:野球の日本シリーズを授業中に見た記憶がある(笑)。

前:私も百恵ちゃんの結婚式見た記憶がある(笑)。

武:今、そんなことやったら、炎上だね(笑)。

一同:笑

武:辞められてからはすぐ動き出したのですか?

佐:2009年の3月に辞めたのですが、母が寝たきりで・・・私、実家が石巻なんですね。それで、平日も通って・・・やりたいって思っても、実際に動くって難しいですね・・・本もここには置けなくて、レンタル倉庫を借りて、置いているような状態だったんです。

前:そうですよね・・・締め切りがないというか・・・いつ始めていいかわからなくなる。

佐:はい。そんな感じで2年が過ぎてしまったんですね。だけど、2011年のお正月頃に「いよいよやるぞ」ってリフォームしていたんですね。そして、99%出来た頃に震災が起きて・・・母が海の近くだったので亡くなってしまって・・・。

前:そうだったんですね。

佐:それで、やっぱりバタバタして・・・しかも、レンタル倉庫も水を被ってしまって、本が半分くらいダメになってしまったんですね。

前:えっ。

佐:床上50cmくらいだったので、上に置いてあったのは大丈夫だったんですが。「あー」って思っていた時に・・・私、新聞に縁があるのか・・・震災の次の年、2012年の1月の新聞で塩釜の長谷川さんという方の記事が載っていて、自宅が被害にあって、本もダメになってしまっているけど、全国からの支援で塩釜で文庫を開くというのを見て・・・長谷川さんという方は宮城県のいろんなところでいろんなことをやっている方なんですけど・・・こんな近くにも同じようなことを考えている方がいるんだと思って、長谷川さんに連絡を取って・・・そうすると、なんだろう・・・同じ志を持っている方と話していると動くんですよね。

前:そうですよね。

佐:それで、長谷川さんも2012年の12月に塩釜の自宅で「海辺の文庫」というのを開くんですね。そして、その手伝いをしながら、「じゃあ、私も」ってなって。

前:お手伝いをしながら、やり方もつかんでいったんですね。

佐:そうですね。長谷川さんも顔の広い方で、いろいろな方を紹介してくれて・・・松尾先生の高校の教え子でもあったんですね。それで、憧れの松尾文庫にも連れて行ってもらったりして。

前:一気にいろいろ動きだしましたね。

佐:はい。それで、2013年の4月から、開きました。

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武:先ほど、同じ志を持ったもの同士で、いろいろ学ぶことがあったと仰っていたのですが、どんなやりとりがあったのでしょう?

佐:そうですね、具体的なノウハウというよりは、考え方だったり、想いを伝え合ったりしている感じでしたね。また、私はずっと仕事をしてきて、地域のつながりとかはわかっていなかったのですが、長谷川さんは塩釜でずっとやってこられたから、そういうことの大切さも教えてもらいました。

武:ご主人やご家族はどんな感じでしたか?

佐:そうですね・・・主人は一人が好きな人なので、自宅に不特定多数の人が入ってくるのは、嫌がると思っていました。ただ、リフォームする時に「こんなことがしたい」って話したら、反対はされなかったですね。そして、始めたら意外にもすごく協力的で・・・。

中津涼子さん(以下・中):この前のイベントの時も大活躍でしたよね。

佐:そうなの、そうなの。そこは、すごいイイ誤算だったんです(笑)。

一同:笑

佐:あと娘が二人いるんですけど、上の子は塩釜で保育士していて、今は育休中で、友達連れてきてくれたり、イベントの時も手伝ってくれたりしています。

前:いいですね。

佐:下の娘も仕事しながら、あちこちでチラシ配ってくれたりしているので、家族的にはすごい恵まれています。

前:ご家族の協力は大きいですね。

武:子どもたちの利用状況はどうですか?

佐:それが一番の問題です・・・そうですね・・・多くて10人、来ないかな・・・5、6人来ればいい方かな。なんて言うのかな・・・チラシだけで、知らない家に来て、チャイム鳴らして、玄関から入るっていうのは、難しいことだと思います。だから、人が人を呼ぶのがいいのかな・・・一度来た人が「こういうところあるから、行かない?」って言うのを期待しているんですが、なかなか広がらないかな・・・。

武:そもそも、今は気軽に他所の家に遊びに行ったりしなくなりましたもんね。

佐:そうですね。あと、習い事とかで子どもたちも忙しいですしね。そんな中、多賀サポのイベントに呼んでもらって、チラシを配ったりして・・・あと、ブログもがんばって更新して、少しでも中の様子がわかってもらえるといいのかなと・・・私もマメにいろんなことをやれればいいのですが。

中:多賀城は子育て世代が多いんですけどね・・・。

佐:ただ慣れてくると、自分の居場所として来てくれる子がいるんですね。親でもなく、先生でもなく、近所の大人に会うって感じで。本を読むのも大事ですが、そうして来てくれるのも大事だと思っています。

前:佐々木さんは子どもたちが来ている時はどうしているんですか?

佐:小学生だと自分で読めるので、そういう時は私も本を読んでいたりして、まだ本が読めない小さい子だと読んであげたり、おはじきとかで一緒に遊ぶ時もありますね。

武:そういう話を聞くと、一人一人と関われる大切さがあるのかなと思います。さっき、10人は来ないって言っていましたが、逆にそうして増えていってしまうと、その関わり方もできなくなってしまうのかなと思いますね。

佐:たしかに、それはありますね。たまに、ドドドってたくさん来る時があるんですが、それはそれで対応ができない感じもありますね。

前:滞在時間はどれくらいですか?

佐:小学生だと学校終わってから来るので、3時30分頃来て、だいたい30分から1時間くらいかな。

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武:それでは、ちょっと角度を変えて質問しますが、多賀城という街、地域性をどう思いますか?

佐:(ちょっと考えて)うーん、そうだなぁ・・・私も含めて、発信が少ない街だなぁと思いますね。私も長谷川さんや多賀サポを通して、いろいろわかってきたように、ただ暮らしているだけではわからないことがあるなぁと思いますね。

前:いろいろな人はいるんだけど、なかなか見えにくいってことですかね?

佐:そうですね。いろんな人、いますね。だけど、見えにくい。

前:それが見えてきて、やっている側と求めている側が重なっていくとイイですけどね。

武:多賀サポでは、それは感じているの?

中:そうですね、発信したがっている人も、情報を欲している人もいますね。多賀サポもブログをやっているんですが、街のイベントとかでも載せると、すごいヒット数があがるんですよね。だから、もしかしたら、そもそもの情報が少ないのかなって思ったりもしますね。

武:多賀サポ自体にまずは来てもらいたいよね。

中:そうなんですよね・・・なので、コンビニとかスーパーとか、そういうところにもチラシとかを置いてもらっています。

前:それ、いいね。

中:佐々木さんも情報誌を見て、来てくれたんですよね?

佐:そうです。ハチミツ屋さんで見て、行きました。仕事している時は多賀サポさんを知らなかったんです。

前:そうなんですねー。ここに来る時は登録が必要なんですか?

佐:はい。震災みたいなこともあったので、親の連絡先も含めて、名簿がありますね。

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武:今後はなにかやってみたいことはありますか?

佐:そうですね・・・とくに大それたことはないんですが・・・イベントはいつも冒険で・・・開いた年の12月にクリスマス会をはりきってやったのですが、2人しか来なくて、主人がサンタになって2階で待っていて、長谷川さんも読み聞かせで来てくれたんですが、大人の方が多いってことで・・・すごいショックで、イベント恐怖症になったんです。でも、いろいろ考えていても、仕方ないって思って、またやって、次の年のクリスマス会は10人くらい来て、ちょっと勇気が出てきて、また次のイベントも企画するようになって・・・年に何回かイベントをやりたいなって思います。でも、やはり淡々と開け続けることが大事かなと思います。大それた夢では、小学生が大人になって、自分の子どもが生まれた時に来たら「まだちいさいおうちあったの!」というのが一番の夢ですね。