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INTERVIEW
子どもの頃は
本を読んでいなかったんです。
だけど本は好きでした。
本屋さんも好きでした。
背表紙が並んでいるだけで
満足するような感じがありました。
喫茶frame/SARP ほんだあいさん/伊東卓 さん

Book! Book! Sendaiの新しい企画(連載)『せんだい本の生活史』では、いろいろな方の本との出会い、本との関りをきいていき、人と街と本のことをアーカイブしていきます。今回は、喫茶frameを運営する作家のほんだあいさんと写真家の伊東卓さんです。喫茶frameと隣接するギャラリーSARPでは、いつもおふたりとお話をさせてもらっていますが、こうして本のことから、おふたりのいままでの人生のことをきいたのは初めてで、楽しく、刺激的な時間でした。(Book! Book! Sendai/武田こうじ)

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伊東:本は好きですね。ただ子どもの頃に本をたくさん読んではいませんでした。子どもの時の環境って大きいと思うのですが、ぼくの家は本がない家だったので、あんまり本に触れるという感じではなくて、外に出て走り回って遊んでいるような子どもでした。だけど、家の向かいに絵の教室があって、そこに行って絵を描くのは好きでした。風邪をひいても行くくらい好きでしたね。すごく覚えているのが、自分が描いた絵を先生になおされて、葉っぱをこういう風に描いた方がいいよ、と。なぜか、それは覚えていますね。
ですが、学校の授業では美術も図工も嫌いでした。学校が嫌いだったんです。全然楽しくないと思っていました。
高校を卒業するまでは本を読みませんでした。ただ、卒業する時に自分はなにをしたらいいのか考えてなかったので「どうしようかな」と思いました。周りの友だちはバイクの整備士になったりしていたから、自分も整備士になるのかなと思っていたんですけど、音楽にハマっていて、洋楽とかを聴いているとアートとすごく密接に繋がっていることがわかって、そういえば絵が好きだったなと突然思い出すんです。
それで、デザインの仕事がいいなと思って、そこから本を読み出したんです。人が読んでいた本の特集などを雑誌で見て、急激に本を読み出して、学ばなきゃみたいな気持ちがあったのでしょうね。

卒業後はリフォームの内装のバイトをやりながら、本を読む生活でした。文学に目覚めました。中上健次を読んだ時はグッと来ましたね。中上健次はアカデミズムの流れの人ではなくて、労働者からずっと書き続けていたから、憧れがありました。初期の『岬』とか『枯木灘』とか好きでした。いまでも一行読むだけで「中上健次を読んでいるな」と思えるので、やっぱり特別な作家だと思います。

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ほんだ:わたしも子どもの頃は、本を読んでいなかったですね。ただ読んでいないけれど、本は好きな子でした。本屋さんも好きでした。背表紙が並んでいるだけで満足するような感じがありました。それと、小学校の時は家庭文庫に行っていました。木下に「おひさま文庫」というところがあって、そこに行っていました。だけど、そこでも本を読んでいた記憶というよりも、べっこう飴を作ったり、クラフトをやったりした記憶があります。ストローを切ってお星さまを作ったり。すごい楽しかったです。高学年は低学年に人形劇を見せるんです。教えてもらって軍手で人形を作っていましたね。うさぎとか作って、泣いた赤鬼の人形劇とかやっていました。

図鑑は好きで読んでいました。図書館の図鑑って貸し出しできないものだから、その場で見ていました。昆虫や動物が好きだったから、ずっと図鑑を見ていましたね。小学校の時に見ていた図鑑で、気に入ったものは大人になって買いなおしたくらいです。
図鑑は写真じゃなくて詳細な絵だったと思うけど、それも好きでしたね。これは大人の上手い人が描いているんだ、というときめきがありました。
それと、姉がいたので、その影響でマンガは『はいからさんが通る』とか『キャンディキャンディ』を読んでいました。

伊東:家は母が厳しくて、マンガもテレビも禁止だったんです。友だちが読んでいるから、一応、母にお願いはしたと思うのですが、却下されたと思います。
小学校の5、6年生くらいに読みたいものが出てきて、読めるようにはなるんです。家に手塚治虫の『火の鳥』があったので、読んだんですけど、なんかむずかしいなって思いました。

高校生の頃の話をしていて思い出したのですが、あの頃はバイクが好きでした。卒業して内装業のバイトをしながら、サーキットで走っていて、レースに出ようと思っていたんです。でもお金がとてもかかるんです。あの頃、サーキットはとても人気があって、サーキットを走るだけでも2ヶ月ぐらい予約待ちでした。
それで、レースのことばかり考えていたんだけど、だんだん続かないなと思ってきて、お金が理由というよりも自分の限界というか、そういうのを感じてきて、自分はなにをやりたいのかな、と改めて考えました。
20歳の時にデザインの専門学校に行ったんです。内装の仕事をやって、お金を貯めて、その時知り合ったグラフィックデザインの人に「グラフィックデザインという道がある」って教えてもらって。だけど、その学校に入ったら自分のやりたいことが美術なんだって気づくんです。自分は映画とか写真に興味があるってわかって、やっぱり美術やアートの世界が好きなんだって思ったんです。
そんな中でも映画がいいなと思っていました。映画を作る人がいいなと。映像に興味があったので。だけど映画は一人では作れないから、自分にはできないなと思って。それで写真に少しずつ興味を持つようになったのかもしれません。

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写真がいいなと思いつつも、写真の良さがよくわからなかったんです。いいと言われている写真家の写真を見ても、なにがいいのかがよくわからなかった。ロバート・フランクかっこいいな、と思って、写真を見ても、上手いと思うけど、そこまで響かない。たぶん写真の見方がよくわからなかったんでしょうね。自分はこの写真とか、この写真家とか思って、写真の道に行こうと思ったわけではないんですね。
写真に惹かれるというよりも、先に映像がありました。ジム・ジャームッシュの映画とかヴィム・ベンダースの映画とか。すごく好きで。ヴィム・ベンダースの写真集の方がロバート・フランクの写真集よりも好きですね。なんでもない風景を撮っているのっていいなと思って。ロバート・フランクはやっぱり人を撮っているから。
それで写真の世界に入っていくのですが、青年文化センターで小岩勉さんのワークショップがあって、参加しました。

ほんだ:25年前なんですよ。私も学生で参加していました。61人も参加していました。卓さんともその時喋ってはいるんです。わたしもその時は、写真に興味があったんですよね。写真自体がすごい盛り上がっていた気がしますね。

伊東:ちょうどその頃は、ヒロミックスとか若い写真家が出てきた頃で、使い捨てカメラとかで撮ったりする人がいましたね。

ほんだ:1年間かけて1人1枚写真を出し合同の写真集を作るワークショップが5年間も続くんです。ワークショップという言葉も珍しかった時ですね。青年文化センターに月一で集まってそれぞれの日常を撮った写真を並べてみんなで見るという形でした。
それと、小岩さんが写真集をいっぱい持ってきてくれて、みんなでシェアし合うっていう感じでしたね。

伊東:ここで学んだことは大きいですね。いろんな写真家を小岩さんに教えてもらいました。ワークショップの後、小岩さんの家に入り浸る感じでした。

ほんだ:わたしはお家まで行くメンバーではなかったです。

伊東:渡辺兼人という写真家がいるんですけど、金井美恵子との共著の『既視の街』という本を小岩さんに教えてもらって見たら、なんの変哲もない写真ばかりだったんです、モノクロで。それに衝撃を受けました。「いいの?これで?」って。あと、アジェも。これも「ただ昔のパリの街を撮っただけじゃん」と思いました。ただすごく惹かれました。

ほんだ:わたしも小岩さんが持ってきてくれた写真集は見ていました。アラーキーの『センチメンタルな冬の旅』とか、「こんな写真集があるんだ」と驚いたし。でも、そのワークショップを通してわたしは写真を撮るセンスがないな、と思ってしまったんです。
自分が撮ったものが自分の撮りたいもののイメージと違いすぎるなと思いました。写真は盛り上がっていたし、自分もかっこいいのを撮れると思っていたけど、プリントしてみると「あれ?」と思うことが多くて、そこから突き詰めたいとも思わなかったんでしょうね。

その時も絵は描いていたんですけど、いま思えば、わたしの好きな写真はネイチャー写真でしたね。図鑑から来ているので。
それと、中学生のときに星野道夫がアラスカのことを連載していた『Mother Nature’s』 という雑誌にとてもはまっていました。いまでも本当に好きな雑誌です。その後ナショナルジオグラフィックも買っていました。

伊東:ぼくもいろいろな雑誌を読んではいましたが、カメラ雑誌は読まなかったんです。あの時はカメラ雑誌がすごく重要で、小岩さん世代の人は読んでいる人が多かったんです。だけどぼくはカメラの広告とかが嫌いで、あまり読まなかったんです。
昔は写真が載るとしたら、カメラ毎日とかアサヒカメラが一番だったんですが、90年代頃から、スイッチとかロッキング・オンとか発表の場が変わってきて、その時期に自分もいたんでしょうね。

写真集を買っていましたけど、文学も好きでしたね。写真集をいっぱい見ていて、それも大事なんだけど、別なジャンルも、文学とか、読んでいかないとダメなんだろうなと思っていたんです。
私小説が好きになっていって、古井由吉とか佐伯一麦をよく読んでいました。とくに佐伯さんは電気工をやりながら小説を書いていて、自分も内装をやっていたので、近いものを感じていました。
最近だと私小説ではないですが松家仁之の『光の犬』が好きでした。読んでいると、ゆたかな気持ちになるというか。
詩も好きでしたね。吉増剛造とか好きで読んでいました。

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ほんだ:最近はお店に置く本を意識しています。展示に関連したものを置くと、興味を持ってくれるかな、と思ったり。この展示を見に来たのなら、この本が好きかな、と考えたりします。
最近読んでいるのはトークイベントで来てくださった川内有緒さんです。川内さんのエッセイは読んでいると、川内さんと友だちになりたくなるような、なんていうのかな、不思議な魅力があるんですよね。
あと、お客さんには「おすすめの写真集を見せてください」と言われることが多いですね。

伊東:だけど、おすすめするのは大変で、その人に合いそうなもので、自分が好きなものを考えます。やっぱり、ぼくは自分が好きなものを置きたいんですよね。

いまこうして、お店とギャラリーをやっていて思うのは、写真を撮っていくのはほんとうに大変だということです。ただ撮るだけなんだけど、なんでこんなに大変なんだろうって思います。撮りたいものがあるんだけど、なかなか撮れないというか。
自分が置かれている状況と写真を撮るというのが、もしかしたら少しずつ離れていっているのかもしれないですね。ちょっと焦りもありますね。
長く写真をやってきて、なんとなく自分のスタイルというものが出来つつあると思っていたんですけど、違うかもって思い始めていて。違うかもというのも変だけど。自分くらいの年齢だと、自分のスタイルが出来上がっている人が多いと思っていて。数年前は自分もそうなってきたかなと思っていたんです。このままこういう感じで撮っていくんだと思っていたら、そうじゃないのかなと思ってきて、まだまだ大変だなと。
たぶん自分はまだまだ撮りたいものがあるし、見たい風景があるので、まだその前段階というか準備段階なのかなと思っています。

ほんだ:わたしは毎週のように展示があって、それを見ていると、描きたくなるんですよね。グループ展に誘われる機会をもらったりもして、参加すると、次はこうしよう、と思えたりします。昔とはちょっと違う気持ちですね。
絵を描く人ってみんなそれぞれだと思うんですけど、絵は紙に向かっている時だけじゃなくて、頭の中でいつも描いている感じなんです。車の運転中でも指は動くんです。なんか、いつも描いているんだろうなって思っています。お店の壁面の展示物を替えるときも絵を描いているような感じで替えています。

伊東:それは自分もありますね。写真を撮っていなくても、撮っている感じがあります。撮ってないからダメだとは思っていなくて、撮っていない時間も大事だし、その時は写真を撮っていないかっていうと、決してそうじゃないと思っています。